prologue

【鬼と鯉】

(2017年 エネオス童話大賞 落選作品)

僕の名前は「幸せ酔って鯉」.。o○
昔は、この頭のマークのせいで笑いものにされたこともあったけど、最近は幸せを呼ぶ鯉として有り難がられている.。o○
謎の人物「師匠」に出会い、お酒にはまり、辛い過去を歴て今日の僕がある。今日はそんな昔話をしてみたい.。o○

西の国。人里離れた険しい山に鬼が住んでいた。身の丈十尺、凶暴で冷酷と噂される鬼は、その昔人里で育った。なぜ、鬼がその家に生まれたのかは分からない。母親は愛情を込めて育てたが、日々大きくなる躰、飛び出す角、赤くなる髪を気味悪がり、やがて村人全員が鬼をいじめるようになった。

気の弱い鬼はやられっぱなしだったが、その怒りが頂点に達した日、我慢できず村人に大怪我をさせてしまった。急に恐ろしくなった鬼は村を飛び出し、以来、故郷から遠く離れたこの山に一人淋しく住んでいる。

鬼の唯一の楽しみは美味しい地酒を作って飲むことだった。酔うとご機嫌になる。でも、辛い昔を思い出して泣く日もある。そんな時に山の頂で発する叫び声は、意に反して下界の村人を心底震え上がらせた。

ある昼下がり、鬼が池で泳ぐ奇妙な鯉を見つけた。「お前、変わった模様だな・・・その頭はいったい何だ」白い鯉の頭の天辺には、ただ一つ、大きく赤いハート模様があった。

「ふん、僕はこの変な模様のせいで、ずっと池の中の笑い者さ。だが、君だって髪が真っ赤じゃないか」気丈な鯉が言い返した。

鬼は昔の境遇を思い出し、「面白い奴だ、ちょっと寄ってくか」そう言うと、鯉を桶で掬い、家に連れ帰った。家に着くさま、鬼は桶にドボドボと地酒を注いだ。「エッ」突然のことに鯉は驚いた。

「どうだ、旨いか、俺の作った酒は、気持ちいいだろう」鬼が自慢げに言った。鯉は少し甘くて酸味のあるその液体に揺られながら、不思議な心地よさに包まれた。

「確かに旨い」そう言うと鯉は眠りに落ちた。

一夜明け、昨夜の酒によほど感動したのか、「池に帰っても淋しい思いをするだけです。師匠、どうかここで僕に酒造りを教え下さい」

唐突に鯉が頼み込んだ。

「いいだろう。師匠かぁ、よい言葉の響きだ」こうして鬼と鯉の奇妙な師弟生活が始まった。

ある夜、鬼が鯉にぽつりと言った。

「母上がどうしてるか会いに行きたいんだ」

「師匠、その大きな躰で里に下りればパニックになります。どうでしょう。北に酒好きの仙人がいます。満足いく酒を献上すれば、願いを一つだけ聞いてくれるという噂です。師匠の躰を人間にしてもらいましょう」

数日後、鬼は人目を避け、自慢の酒樽と、鯉を入れた大きな瓢箪を抱え、仙人を訪ねた。

「ホッホッホ、嬉しい客人じゃな。まずは酒樽をこれへ」仙人は差し出された樽に中指を入れ、その指をペロリと舐めた。

「おお、美味じゃ。西に酒造りの名人がおると聞いておったが、噂に違わぬ味じゃ」

そう言うと、仙人は樽を一気に飲み干した。

「約束通りお前を人の姿に変えてやろう。だが、その姿でいられるのはせいぜい一週間じゃ。それでもいいか」

鬼は目を輝かせて答えた。「十分でございます」

仙人の吹きかけた白い煙で、鬼は人の姿になった。と同時に、瓢箪から人の姿になった鯉が飛び出した。これには仙人も驚いた。

「なんじゃ、鯉までおったか、まあいい、お前も人の姿を楽しむがよい」

山々を駆け抜け、やっと生家に戻った鬼は肩を落とした。生家はすでに朽ち果て、空き家になっていたからだ。鯉が通りがかりの老人に尋ねた。「この家にお住いの方は?」

「ああ、息子がいたが、人に大怪我をさせて逃げたきりだ。母親はその事を詫び続けたが、最後まで村人は許す事がなかった」

「最後まで?」鬼が驚いて聞いた。

「誰にも看取られず、とっくに死んじまったさ。哀れなもんだよ、あんな息子のせいで」

それを聞いた鬼は烈火のごとく怒った。次の瞬間、服がはちきれ、躰が大きくなり始めた。仙人の術が解けたのだ。

「母上が何をした。悪いのはこの俺だ。しかし、本当にそうか、俺にそうさせたのは誰だ、本当の鬼はおまえ達ではないのか」

巨大化する鬼に村は騒然となった。その時、かつて自分をいじめ抜いた男の姿が見えた。鬼が大きな拳をその男に振り下ろそうとしたその時だった。「師匠ダメです、人を傷つけては。また自分を許せなくなります」人の姿の鯉が泣きながら鬼の右脚にしがみついた。

反応した鬼が足に目をやると、地面で苦しそうに跳ねてもがく鯉がいた。鯉の術も解けたのだ。このまま息ができないと鯉は死ぬ。鬼はハッと我に帰り、慌てて鯉を手のひらに包むと、周囲に眼もくれず走り去って行った。

「鯉よ、死ぬな、死なないでくれ。もう、独りぼっちは嫌なんだぁ」

大粒の涙が鬼の両眼から流れ続けた。

その後、鬼と鯉の足取りはつかめない。しかし、西の国に小さな鯉をお猪口に浮かべ、幸せそうに酒を飲む者がいると聞く。今宵、居酒屋に彼らがいれば、声をかけてみるといい。淋しがりやの彼らは、きっと満面の笑みであなたを迎えてくれるはずだから。(了)